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【プレイバックW杯】開催国アメリカがメダルを逃す波乱の中、ユーゴスラビアがアルゼンチンを延長で下して連覇達成

2023.01.23

ワールドカップ

 

 

2010年世界選手権 準決勝 トルvsセルビア 83-82

決戦の地であるインディアナポリスでは、ユーゴスラビアの連覇に期待するファンと、初優勝に挑むアルゼンチンファンの熱気で溢れかえり、まるで、会場がアメリカであることを忘れさせるような光景が広がっていた。2002年大会のファイナルは、ディフェンディング・チャンピオンのユーゴスラビアが新興チームのアルゼンチンをオーバータイムの末に84-77で下し2連覇を達成した。

それにしても、若手が多かったとはいえ、優勝候補だったアメリカが表彰台を逃すとは誰が予想しただろうか。1992年バルセロナオリンピック位で金メダルを獲得した初代ドリームチーム以降、NBAプレーヤーが出場した国際大会で58戦無敗だったアメリカがついに敗北を喫したのだ。大会前に53連勝を築いていたアメリカは、2次ラウンドのアルゼンチン戦で80-87、準々決勝のユーゴスラビア戦で78-81、5位決定戦ではスペインに75-81と、この大会だけで屈辱的な3敗を喫した。

アメリカはNBA選手で結成しているだけに、活動期間の短さが問題視されており、個の力が組織的なゲーム運びをする国々に敗れたといっても過言ではない。しかし、決戦の地は紛れもないアメリカ。ホスト国としては最悪な結果に終わったといえる。

 

 

 

 

またこの大会では、アルゼンチン、ドイツ、ニュージーランドといった“シンデレラチームチーム”が躍進してベスト4を占め、MVPには銅メダルを獲得したドイツのダーク・ノビツキー(元ダラス・マーベリックス)が選出されるなど、世界のバスケットボールシーンに新興勢力が出てきたことを印象付けた大会でもあった。

ただ、シンデレラチームとはいえ、大会の出来を振り返ってみれば、アルゼンチンのファイナル進出を疑うものは誰一人としていなかった。このとき、25歳で世界に名を知らしめたマヌ・ジノビリ(元サンアントニオ・スパーズ)は2次ラウンドのアメリカ戦でチームトップの15得点をマークしてアメリカを破る原動力として活躍。しかし準決勝で痛恨の捻挫をしてしまい、ファイナル出場が危ぶまれていた。

 

 

 

 

ユーゴスラビアは予選ラウンドでスペインに、2次ラウンドでプエルトリコに1ゴール差で惜敗するなど、苦戦しながら決勝トーナメントに勝ち上がってきた。しかし、準々決勝のアメリカ戦では81-78で激闘を制するなど、経験値のあるチームらしく、接戦での戦いをチーム力に変えていった。前回1998年大会のMVPでキャプテンのデヤン・ボディロガ(元パナシナイコスBC他)を筆頭に、当時サクラメント・キングスで活躍していたペジャ・ストヤコビッチとブラデ・ディバッツら実力派を擁したチーム力は試合を重ねるごとに強固になっていったのだ。

ファイナルは拮抗した展開となる。前半終了してユーゴスラビアが41-39とリード。ともに激しいフィジカルコンタクトによるぶつかり合いからヒートアップし、ユーゴスラビアが26、アルゼンチンが29というファウルの応酬の中でゲームは進む。

 

 

 

 

第3クォーターに入るとアルゼンチンが18-11と抜け出す。エースのジノビリは負傷のためにベンチから12分しか出場できずに無得点に終わるも、フル出場したファブリシオ・オベルト(元サンアントニオ・スパーズ他)が両チームを通じてゲームハイとなる28得点をマークして気を吐いていた。第4クォーター残り4分10秒にはペペ・サンチェス(元(元アトランタ・ホークス他)の3Pシュートが決まってアルゼンチンが8点リード。しかし、前回王者も黙ってはいない。

 

 

 

 

ここからユーゴスラビアは、リーダーのボディロガが立て続けにアウトサイドシュートを決めて猛追。残り17.4秒で75-75のイーブンに追いつく。さらには、オールコートプレスから執念のスティールとルーズボールで残り5.9秒にフリースローをゲット。だが、この絶好のチャンスでディバッツが2投とも外し、そのリバウンドをアルゼンチンがもぎ取ってレイアップに持ち込むも、これが入らずにタイムアップ。勝負は延長へともつれ込んだ。

 

 

 

 

延長戦では両者得点が取れずに進む中で、ストヤコヴィッチが3Pシュートで先制してユーゴスラビアがリード。延長で力尽きたアルゼンチンに対し、最後まで粘ったユーゴスラビアが84-77で勝利をつかみ、2大会連続5度目の優勝を飾った。ユーゴスラビアが延長で決勝を制したのは2度目で、1978年大会には当時のソビエト連邦を82-81で下している。

 

 

 

 

激闘の末に金メダルを逃したアルゼンチン。とはいえ、ジノビリをはじめ、サンチェス、オベルト、ルイス・スコラ(元ヒューストン・ロケッツ他)、アンドレス・ノシオニ(元シカゴ・ブルズ他)といった黄金世代が国際舞台で独り立ちして躍動。2年後のアテネ五輪での金メダルへの布石となる大会となった。

また、この大会を最後にユーゴスラビアは国自体が解体。2006年大会はセルビア・モンテネグロとして出場し、のちにセルビアとモンテネグロに独立。以後はセルビアが国際舞台で存在感を示していくことになる。