太田敦也 フランチャイズプレイヤーが語るB.LEAGUEの10年 vol.4 「三遠一筋18年の軌跡。ブースターと共に歩んだ日々、そして恩返しへ」

Bリーグは10シーズン目という大きな節目を迎える。本連載ではその中で2016年の開幕からただ一つのクラブに所属し続ける、数少ない選手たちに話を聞く。第4回は三遠ネオフェニックス一筋でキャリアを積み重ね、昨シーズンを最後に現役を引退した太田敦也氏。外国籍選手との激しいマッチアップを担い続け、クラブの浮沈を誰よりも知る男は今、フロントスタッフとして地域とクラブをつなぐ新たな挑戦を始めている。
アルペンマガジンにてシューズやウェアなどについて語るスピンオフインタビュー掲載中!Bリーグ発足前後の心境と突きつけられた現実

――2016年にBリーグが発足しました。当時はどのように感じましたか。
太田 ようやく大学や日本代表で知っていた選手たちと同じ舞台で戦えると思いました。bjリーグ時代は他リーグの様子を知る手段がなく、代表活動の場で断片的に話を聞くしかありませんでした。純粋に「試合をしてみたい」という気持ちが強かったです。
――Bリーグ開幕戦は代々木第一体育館で行われました。
太田 テレビで見ました。赤と白に分かれた演出に驚きましたし、芸能人もいて華やかな雰囲気でした。bjリーグファイナルの有明コロシアムも特別でしたが、代々木第一の演出は「すごい」と思いました。次は自分たちがその舞台に立ちたいと感じましたね。
――初年度にB1参入を果たしました。最初の印象はいかがでしたか。
太田 開幕してある程度順調に勝利も重ねていたのですが、初めて(シーホース)三河さんと戦った時に力の差を強く感じました。このままでは勝てないと思いましたし、プレーの質も格段に高く、bjリーグ時代とは違うレベルだと痛感しました。
――印象に残る場面はありますか。
太田 (桜木)ジェイアールと(アイザック・)バッツにマッチアップしながら必死に戦って、苦しい体勢からレイアップを打ったら比江島(慎)にブロックされたことはよく覚えています。そこまでbjリーグからの流れで戦ってきましたが、「ここからは全く違うレベルだ」と突きつけられた瞬間でした。
――外国籍選手とのマッチアップはやはり厳しかったですか。
太田 とても大変でした。Bリーグになり、より重く、速く、うまい選手が増えてきて、心が折れそうになることも多かったです。また、ガードの選手も大きな体でシュートもうまい選手が入ってきて。ドリブルもできると、本当にどう守ればいいのかわからない。何をやっても決められてしまう感覚を味わいました。
苦しい時代と仲間・ブースターの支え

――Bリーグ初年度はチャンピオンシップにも出場しましたが、その後は勝てないシーズンが続きました。
太田 勝てない試合が続いた時期もありました。コロナ禍でシーズンが途中終了した時など、勝利数が片手で数えられるほどの年もありました。そんな中でもブースターの皆さんが顔を上げて応援してくれて、その後押しが崖っぷちで踏ん張れる理由になりました。
――転機はいつ訪れましたか。
太田 2021-22シーズンに大野篤史ヘッドコーチが就任したことです。僕自身が唯一の地元出身選手としてチームを支えるなかで、大野さんが加わり、組織に大きな推進力を与えてくれました。そこから中地区優勝やクラブとして22連勝といった結果につながったと思います。
――印象に残る仲間を挙げるとすれば。
太田 鈴木達也(2016~21年、現大阪エヴェッサ)と川嶋勇人(2017~21年、現京都ハンナリーズ)ですね。どん底の時期でも心を折らず、点を取りに行き勝たせようとしてくれた2人でした。その他では元NBA選手のジョシュ・チルドレス(2016~17年、2018~19年)も忘れられません。すでに実績ある選手なのに人を見下すことがなく、練習でも日本人選手に積極的に声をかけてコミュニケーションを取ってくれたことをとても覚えています。来日した直後、選手登録がまだ終わってない時でもチームと一緒に行動してくれていて。その時、試合が終わった後に姿が見えないと思ったらピザを買ってきて「お疲れさま」とチームに配ってくれる、そんな人でした。NBA選手の振る舞いを身近で見て、心から「すごい」と思いました。

――指導者では誰が印象に残っていますか。
太田 2016~2019年まで三遠で指揮を執った藤田弘輝HC(現大阪エヴェッサHC)です。自分より年下で元チームメートでもあったのですが、責任ある立場になってフェニックスの文化を作ってくれました。一方で中村和雄さん(元秋田ノーザンハピネッツHC)の影響もフェニックスには根強く残っていました。センターが走り回ってハンドオフやピック&ロールを繰り返す発想は当時として斬新で、自分が長くプレーできた要因の一つになったと思います。
――若手との関わりについては。
太田 ベンチで見守る時間が増える中で、若手に声をかけることが役割になっていました。ケガで出場できなかった根本(大)や(湧川)颯斗に寄り添い、復帰してプレーできた時は自分のことのようにうれしかったです。昨シーズンは柏木(真介)さんと一緒に、若手を支える立場でいられたのは良い経験でした。
引退後の挑戦と地元への思い

――昨シーズンを最後に引退しました。現在はどのような活動を。
太田 「社長付 三遠協創担当」として営業の同行をしながら勉強中です。クライアントなどの訪問先で「応援していました」と声をかけていただくのがうれしく、こんなに応援されていたんだなと実感しています。現役の時には気づけなかった価値です。
――移籍を考えたことはありましたか。
太田 誘いは何度かあり、実際に移籍を伝えに行こうとしたこともありました。ただ、地元で続けてほしいと言われて残りました。今は出なくてよかったと思っています。正直、引っ越しも大変ですし(笑)。家族の生活も含め、地元でプレーできるのは本当に幸せでした。
――家族の存在も大きかったのでは。
太田 上の子はもう中学生になりました。思春期で大変ですが、友達と離れ離れになるのは子どもにとって辛い。だから地元に残れたのは良かったと思います。
――優勝争いをしている現在の三遠をどう見ていますか。
太田 流れ的には今シーズンが一番良いと思います。エースガードの佐々木(隆成)がケガで離脱していますが、佐々木が欠場している間に残ったメンバーでどれだけチーム力を上げられることがポイント。そして最後のピースとして佐々木が復帰すれば、さらに強くなれると思います。また、新加入の(ダリアス・)デイズや河田(チリジ)がどこまでチームにフィットできるかも鍵になります。若手が踏ん張ってくれることも重要です。大野HCをはじめスタッフが開幕に合わせて仕上げるので、そこは心配していません。
――最後にブースターへのメッセージをお願いします。
太田 18年間プレーできたのは周りの人たち、ブースターやスポンサーの皆さんのおかげです。一人ひとりに感謝を伝えたいぐらいです。これからは恩返しの番で、僕一人では限界がありますが、一緒になってこの地元を盛り上げていきたい。フェニックスが「今日勝ったね」と食卓で自然に会話に上るような存在になるよう、引き続き力を尽くしていきます。
インタビュー=入江美紀雄(バスケットボールキング)
写真=黒川真衣

