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B.MAGAZINE

FIBAバスケットボールワールドカップの歴史を振り返る

2022.12.21

ワールドカップ

 

 

 

予選方式の改革、出場枠拡大
ワールドカップ大会方式の変遷

FIBA(国際バスケットボール連盟)バスケットボールワールドカップ(FIBA Basketball World Cup)は、4年に一度開催されるバスケットボール世界一決定戦。1950年に第1回大会が開催され、2010年大会までは「世界選手権」(FIBA World Championship)の名称で行われていた。2014年大会からは名称新たに「ワールドカップ」となって現在に至る。

 
登録証

 

 

ワールドカップは時代とともに規模を拡大させてきた。2002年大会までは出場枠は16カ国だったが、日本で開催された2006年大会から24カ国に増加。さらに前回の2019年大会からは32カ国へと拡大させている。また、2017年に行われたFIBAの大改革に伴い、ワールドカップ予選方式も変更している。それまでは一極集中のセントラル方式で大陸予選が行われて、そこから本戦出場チームを決めてきたが、2017年からは1年3カ月をかけた長期でのホーム&アウェー方式によって出場権が争われている(2023年大会の予選は新型コロナウイルスの猛威によって一部変更あり)。これは、FIBA前事務総長である故パトリック・バウマンが掲げていた「自国で代表戦が行われることで普及と強化になる」という目的のための変更である。また、2017年からはアジアの強化を理由に、オセアニア地区がアジア地区に加わって予選が行われることになった(オリンピックの出場枠についてはアジアとオセアニアは分かれている)。

FIBAによる改革はさらに進められた。サッカーのFIFAワールドカップとの同年開催を避けるため、2014年大会の次は会期を1年ずらして5年後の2019年開催となった。また、2019年大会からはワールドカップ本戦において、大陸内の最上位国がオリンピック出場権を得られることになり(アメリカとヨーロッパ大陸は上位2カ国まで出場権を得られる)、順位決定戦においても見どころ満載で消化試合がなくなっている。

 

こうして、バスケットボール界は4年に一度のワールドカップを軸に展開されていることからも、FIBAワールドカップはその名のとおり、世界ナンバーワンを決定するバスケットボールの祭典といえるだろう。2023年大会の出場枠は以下の通りだ。

 

<FIBAワールドカップ2023 出場枠>

●開催国(2カ国/フィリピン・日本)
●アメリカ大陸(7カ国)
●ヨーロッパ大陸(12カ国)
●アフリカ大陸(5カ国)
●アジア・オセアニア大陸(6カ国)
最多優勝はユーゴスラビアとアメリカの5回

 

過去の大会を振り返ってみよう。第1回大会は1950年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで開催された。以後、1990年の第11回大会までは南米の国(アルゼンチン2回、ブラジル2回、チリ、ウルグアイ、コロンビア)がホストとなることが多く、アジアで初めて開催されたのは1978年の第8回大会でフィリピンの首都マニラで行われた。当時の決勝が行われたアラネタコロシアムは、2023年大会でも会場の一つとして予定されている歴史のあるアリーナだ。

 
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(ユーゴスラビアとして最後の優勝となった2002年開催のアメリカ・インディアナポリス大会)

 

最多優勝国は旧ユーゴスラビアとアメリカの5回。続いて旧ソビエト連邦の3回、アルゼンチンとスペインの2回と続く。2000年初頭までは、優勝回数トップ3であるユーゴスラビア、アメリカ、ソビエト連邦の3カ国がバスケットボール大国として君臨していた。最多優勝を誇るユーゴスラビアは1991年から2001年まで続いた紛争によって分裂するも、現在は独立したセルビア、スロベニアなどが世界屈指の強豪として存在感を示している。ソビエト連邦も1988~1991年の内紛によって分離し、現在はロシア、リトアニア、ラトビア、ウクライナ等がヨーロッパの強豪として競い合っている。

 

ワールドカップにNBA選手が登場したのは1994年の第12回大会。1989年にアマチュアの祭典であるオリンピックにプロ選手の出場が承認されると、アメリカは1992年のバルセロナオリンピックにNBAの精鋭を集めた『ドリームチーム』を結成。圧倒的な強さで2大会ぶりとなる金メダルを獲得した。以後、アメリカはオリンピックとワールドカップにおいてNBA選手を送り出すことになり、メダル争いはますます激化していく。NBA選手が初登場した1994年大会では、MVPを受賞したシャキール・オニールを中心に『ドリームチームⅡ』を結成したアメリカが3回目の優勝を飾っている。

 
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(1994年マドリード大会でのアメリカの写真)

2006年には日本で初の開催

日本が初のホスト国を務めたのは2006年大会。自力でアジア予選を勝ち抜いた1998年以来となる3回目の出場を果たす。決勝トーナメントは東京2020オリンピックの会場となった「さいたまスーパーアリーナ」で行われ、グループラウンドは広島市、浜松市、仙台市、札幌市の4会場にて開催された。

 

日本代表を率いたのは2003年にヘッドコーチ(HC)に就任したジェリコ・パブリセヴィッチ。強豪クロアチアからやって来た指揮官は、若手を育成して大型化を図り、海外遠征を積み重ね、4年の準備をかけて本番のときを迎えたのだ。
グループラウンドではダーク・ノビツキー率いるドイツに11点差と善戦し、アフリカの雄アンゴラには敗れるもののパナマに歓喜の勝利をあげる。決勝トーナメント進出をかけてニュージーランドに挑むが、終盤に逆転負けを喫して57-60で惜敗。最終戦では優勝したスペインに完敗し、グループラウンド1勝4敗。“あと3点”の壁に阻まれて決勝トーナメント進出の目標には惜しくも届かなかった。

 

 

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(初めて日本で開催された2006年大会はスペインが初優勝を果たした)

 

前回の2019年大会は、1998年大会以来、実に21年ぶりにアジア予選を勝ち抜いての出場権をつかむ。指揮官のフリオ・ラマスHC采配のもと、渡邊雄太、八村塁ら2人のNBA選手を擁し、「世界で1勝」を目標に掲げて臨んだが、5戦全敗に終わっている。

2006年大会でパナマに1勝をあげて以来、世界舞台での勝利から遠ざかっている日本。現在はトム・ホーバスHCのもとで、幅広い選手層の中から強化を進めている最中だ。

 

19回目を迎える2023年大会は、フィリピンのマニラ、インドネシアのジャカルタ、そして日本の沖縄県で行われる初の共催大会。日本とフィリピンは2回目、インドネシアでは初開催のときを迎える。2023年大会は前回の中国に続いてのアジア開催であり、アジアの成長と発展を目指す大会となることだろう。日本代表が戦う沖縄アリーナには8チームが集結する。どんな熱い戦いが繰り広げられるだろうか。