遠藤祐亮「育成契約からキャリアをスタート“BREX NATION”と一緒に歩んだBリーグ10年」/フランチャイズプレイヤーが語るB.LEAGUEの10年 vol.1

Bリーグは「りそなグループ B.LEAGUE 2025-26シーズン」で10シーズン目という大きな節目を迎える。本連載ではその中で2016年の開幕からただ一つのクラブに所属し続ける、数少ない選手たちに話を聞く。第1回は宇都宮ブレックス一筋でキャリアを積み重ねてきた遠藤祐亮。JBLからの歩みとBリーグ創設期の記憶、“BREX NATION”の存在、そしてクラブと自らの未来について語った。
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――Bリーグが10シーズン目を迎えます。2016年の開幕から同じクラブで戦ってきましたが、当時を思い出すとどのような印象がありますか。
遠藤 僕がブレックスに来た時はJBL(日本バスケットボールリーグ)に所属していて、その後NBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)を経てBリーグになりました。NBLとbjリーグが一緒になるのは大きな動きでしたが、若かったこともあって正直そこまで深くは考えていなかったです。リーグが統一されることは嬉しかったですが、最初は「名前が変わる程度かな」という軽い印象でした。ここまで盛り上がるとは想像していませんでしたね。当時の自分は大東文化大学を卒業後、リンク栃木ブレックスと育成契約を結び、TGI D-RISEでプレーしたのちにトップチームへ昇格し、プロとしてキャリアをスタートさせたばかりの立場でした。
――プロ化による環境の変化は感じましたか。
遠藤 ブレックスは当時からプロチームだったので、自分自身は大きな違いを感じませんでした。ただ、東芝(現 川崎ブレイブサンダース)やトヨタ(現 アルバルク東京)、日立(現 サンロッカーズ渋谷)といった企業チームに所属していた選手たちは社員からバスケット一本に切り替わる大きな変化を経験していました。もし自分が今の年齢で家族を持っていたら、安定を選んでいたかもしれません。実際に難しさを感じている声を多く聞きました。
――Bリーグの開幕戦はテレビでも放送されました。
遠藤 国立代々木競技場第一体育館で行われた開幕戦をテレビで見ました。本当にすごい雰囲気でしたね。知り合いの選手も出ていて、ようやくバスケットボールが大きく取り上げられたと感じました。ファイナルがテレビ放送されることはありましたが、開幕戦をあれほど大きく扱ってもらえることはなかったので。アルバルク東京には外国籍のガードの選手(元NBA選手・ディアンテ・ギャレット)もいて、華のある選手が次々に来ていたので、あらためてバスケットの面白さを多くの人に感じてもらえたと思います。
――ブレックスのBリーグ初戦を覚えていますか。
遠藤 秋田ノーザンハピネッツとの2連戦で、敗戦スタートでした。安藤誓哉選手がブレックスから移籍して秋田でプレーしていて、立ちはだかられたのを覚えています。秋田のような元bjリーグのチームと戦うのは初めてで、外国籍選手の身体能力の高さに驚かされました。その一方で、自分たちがどう戦うべきか気づけた試合でもありました。今振り返っても、自分にとって大きな経験になったと思います。
優勝と悔しさのシーズン
――10年間のキャリアの中で、印象に残るシーズンを挙げてください。
遠藤 優勝したシーズンはどれも思い出深いのですが、特に昨シーズンは印象的でした。ケビン・ブラスウェルヘッドコーチの訃報もあり、本当に大変な1年でしたね。もちろん毎年優勝できるわけではないので、タイトルを取れた喜びを強く感じました。(琉球ゴールデンキングスとの)ファイナルGAME3(りそなグループ B.LEAGUE ファイナル2024-25)はどちらが勝つかわからない試合で、今までにないような展開でした。素晴らしい試合を経験でき、自分自身もステップアップできたと思います。
――コーチが亡くなられたのがシーズン途中だっただけに大変だったと思います。
遠藤 残念な出来事でしたが、試合は待ってくれないので乗り越えるしかありませんでした。チームが一丸にならないと乗り越えられませんでしたし、ファンの皆さんも同じ想いを持ってくれていました。優勝という形でケビンにもその想いを届けられたと思います。

――逆に悔しかったシーズンはありましたか。
遠藤 2022-23シーズンです。2度目の優勝を果たした翌シーズンにチャンピオンシップ出場を逃しました。Bリーグになってから初めてのことで、出場できないと決まった後のレギュラーシーズンは精神的にとても難しかったです。勝っても負けても意味がないように思える状況で、消化試合のように感じました。ただ、それでも会場に足を運んでくださるファンの皆さんために勝とうとチームがまとまり、最後まで戦い抜けたことは収穫にもなりました。
――2016-17シーズンの初優勝は覚えていますか。
遠藤 キャリアの中で日本一を決める試合に出るのは初めてで、正直舞い上がっていましたね。当時のファイナルは1試合のみ、一発勝負だったので「やらかしたらやばい」という思いもありましたが、田臥(勇太)さんや頼れる先輩がいたので自分の役割に集中できたのを覚えています。最後は点差に余裕もできて、楽しみながら戦えました。
――昨シーズンは小川敦也選手や高島紳也選手といった若手の台頭もありました。初のファイナルでプレーする彼らを見てどう思いましたか。
遠藤 2人とも今後の日本を代表する選手になると思っていますが、レギュラーシーズンでは出番が限られる中で、チャンピオンシップではディフェンスから輝きました。自分も最初はディフェンスでプレータイムを得ていたので、重なる部分がありました。彼らの爆発力はすごく、自分の若い頃を思い出して懐かしく感じました。
BREX NATIONの存在
――この10年でファンの存在はどう変わりましたか。
遠藤 最初から熱く応援してくれていたファンの方もいましたが、当時は空席が目立つ試合や天皇杯の決勝でさえ観客の入りが少ないこともありました。バスケットの盛り上がりとともに観客が増える過程の中、これまで応援してきてくれたファンの皆さんが新しいファンの方々を温かく迎え入れる文化が広がったのは大きかったです。ファンを含めたブレックスを取り巻くすべての人たちのことを“BREX NATION”と呼んでいますが、ホームでは360°黄色一色に囲まれ、アウェーでもホームのように黄色に染まり、海外の国際大会にも駆けつけてくれます。ブレックスにとって欠かせない存在です。
遠藤 14年目です。千葉県出身ですが、今では同じくらい“地元感”があります。街の人からの反応も大きく変わり、クラブが地域の誇りになったと実感しています。
――ブレックス一筋で戦い続けた理由は。
遠藤 プロとしてキャリアを築ける状況になかった自分を拾ってくれたのがブレックスでした。毎年成長を評価してくれるチームなので不満がなく、一度も移籍を考えたことはありません。

――これからのブレックスに期待することは。
遠藤 田臥さんが常に言っている「何回優勝しても次のシーズンはチャレンジャーとして戦う」姿勢を続けてほしいですね。変わらずリーグのトップに居続けるチームであってほしいです。
――ご自身の将来についてはどう考えていますか。
遠藤 10年後は引退していると思いますが、どんな形でもクラブに貢献したいですね。自分がキャリアを築けたのはブレックスがあったからですし、息子もユース(宇都宮ブレックス U18)に入っているので成長を楽しみにしています。
――最後に、BREX NATIONへメッセージをお願いします。
遠藤 10年間、ファンが増えても“BREX NATIONらしさ”をぶらさず築き上げてくれました。その力が3度の優勝につながったと思います。本当にありがとうございます。厳しい試合もありますが、きつい瞬間に背中を押してくれるのは皆さんの応援です。これからも一緒に戦ってください。
インタビュー=入江美紀雄(バスケットボールキング)
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