バスケットLIVE
2026.06.04

千葉ジェッツ元ヘッドコーチの大野篤史、『戦友』西村文男の引退に際して振り返った就任1シーズン目の荒療治

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大野篤史

空気を変えるために西村を『生贄役』に

千葉ジェッツは6月3日、西村文男の引退試合『LAST RUNWAY』を開催した。台風の影響で開催が危ぶまれる中だったが、かつて本拠地としていた船橋アリーナ(千葉県船橋市)に予定されていたゲスト全員が集結し、華々しく主役を送り出した。

TEAM WHITEの指揮をとった三遠ネオフェニックスの大野篤史ヘッドコーチは、Bリーグ元年の2016-17シーズンから5シーズンにわたって千葉Jのヘッドコーチを務め、強豪クラブとしての礎を築いた人物。天皇杯三連覇、Bリーグ初優勝という栄冠だけでなく、多くの苦難も共に味わった2人の関係性は『選手とヘッドコーチ』というより『戦友』のほうが近い。

イベント終了後、囲み取材に応じた大野は、西村と過ごした千葉J時代について多くの質問を受けた。中でも言葉が多くなったのはヘッドコーチ就任初年度の思い出だ。

練習中の緩慢な振る舞いが目立った選手たちにより高いスタンダードを自覚させるため、大野が「生贄役」として白羽の矢を立てたのが西村だった。「『このチームのリーダーが誰なのか』と観察し、一番影響力を持っているのは文男だと感じました。『文男さんでもあんなに言われるんだ……』と他の選手たちに思わせ、生ぬるかったチームの空気を変えるために文男の影響力を利用させてもらいました」

千葉ジェッツ

荒療治が手繰り寄せた西村の変化

大野は西村の選手としての能力も高く評価していたにもかかわらず、1シーズン目はわずか17試合しか出場させなかった。これも上記と同じく、チームのスタンダードを構築するための苦渋の選択だったと大野は明かした。

「本当は文男を使いたい時は、めちゃくちゃあったんです。富樫(勇樹)が出ていて『オフェンスがうまくいかないな』っていう時にゲームコントロールできるのは文男だと分かっていたんですが、ハードにプレーできない選手は絶対に使わないと決めていたので。こういったことを経験する中で、彼のマインドセットというか、バスケットに対する向き合い方が少し変わったんじゃないかなと思います」

「僕と出会って1年間、彼は本当に苦労して変わろうとしていたと思います。いつも飄々とプレーしていて、勝っても負けても喜怒哀楽がなくて、ルーズボールには飛び込まなくて、だけど賢くプレーする。それがそれまでの西村文男だったと思うのですが、時には激しくディフェンス、ルーズボールにダイブし、ゲームの終盤に自分が何をしなければいけないのかということを賢く判断し、その中で勝利を手繰り寄せられるようになったのはやっぱり文男の成長かなと思います」

2020-21シーズンのチャンピオンシップは、西村のその変化が初の栄冠を引き寄せる大きな要因になった。ルーズボールなどで積極的に身体を張ることで仲間たちを奮い立たせた西村は、ゲーム3にまでもつれたファイナルの『影のMVP』だった。

試合後、西村は次のように話していた。「自分のように普段おとなしいプレーヤーが泥臭いプレーを見せることでチームを勢いづかせたいという思いもありました。だから、CSは普段より身体を張る場面を多くしたつもりです。あざだらけなんですけど、1つ成長できたと思えるところです」

大野篤史

イベントのクライマックスでは、西村が来シーズンより千葉Jのアドバイザリーコーチに就任することが発表された。自身と同じコーチ業へと足を進めることになった西村について、大野は「コーチというのはいろんな経験を肉付けして、自分の哲学を作っていくもの。彼はそういうことがすごく上手な人間だと思うので、良いコーチになると思います」と言った。

ヘッドコーチ就任当時、大野は39歳だった。コーチキャリアを始めて間もない頃に出会った、西村を含む当時の所属選手たちを、大野は「宝物」「友人」と表現し、「今でも常に心配している」という。立場は変われど、これからも2人は良き友として人生を共にしていくはずだ。