月岡 熙(日本体育大学)/「歴史の変わる瞬間に自分の名前を残したい」クラッチ力を磨いた電光石火のスピードスター B.LEAGUE DRAFT 2026
日本バスケットボール界が大きな転換期を迎えるなかで開催される「B.LEAGUE DRAFT 2026」 。この舞台に立つ候補選手たちは、いま何を想い、どのような覚悟でプロへの扉を叩こうとしているのでしょうか 。本連載は、実績やデータだけでは見えてこない彼らの”等身大の声”に迫ります。度重なる苦難を乗り越えた不屈の精神や、チームのために徹した献身的な姿勢 。一人のアスリートとして、人間として歩んできたこれまでの軌跡と、新たなステージへの決意 。ドラフトという運命の日を目前に控えた、彼らの「現在地」を届けます。
月岡 熙(日本体育大学)
つきおか・ひかる/日本体育大4年/174cm・70kg/PG/2003年10月21日(22歳)/昌平高卒/埼玉県出身
※年齢はドラフト当日の2026年1月29日時点

中学時代は関東大会、高校時代は県予選止まり。長らく全国大会出場経験のなかった月岡煕選手(日本体育大学4年)の名前が初めて大きくクローズアップされたのは、大学1年時の関東大学新人戦でした。
上級生の欠場で急きょ先発PGを務めることになった月岡選手は、自慢のスピードと的確なゲームメイクでチームをけん引。オーバータイムまでもつれた日本大学との決勝戦ではフル出場を果たし、8得点、5リバウンド、9アシストの活躍で21年ぶりの同大会優勝に貢献したのです。
この大会で大きな自信を得た月岡選手は、翌年からフルメンバーでも主力の座をつかみ取り、2年時の2023年8月に開催された『World University Basketball Series』では日本学生選抜の一員に名を連ねました。「プロ」というぼんやりした夢が現実味を帯びてきたのも、この頃だったと月岡選手は振り返ります。
「新人戦の後もちょくちょく試合に出させていただいていたんですが、当時は自分がどんなプレーをしたいかを考えることなく、先輩方に引っ張られてやっている感覚でした。ただ、本格的にスターティングメンバーとして出始めて、個人として学生代表に呼ばれる経験をして、プロを目指すようになりました。PGに必要なことや、勝つために自分がやらなければいけないことを理解して、『自分がチームを勝たせなきゃいけない』という気持ちも含めて、意識が変わっていったかなと思います」
学年を重ねる中で、悔しい思いもしました。チームメイトや他校のライバルたちが次々に特別指定選手や練習生としてB.LEAGUEの舞台を経験する中、オファーが届かなかったこともその一つです。「今できることを頑張ろう」との思いで磨いたものの一つが3ポイントシュートでした。
「高校の時からずっと『ノンシューター』と言われていて、大学に入ってもずっと自信が付かなかったんです。自分の3ポイントシュートがないせいで相手のディフェンスを引き付けられなくて勝てないゲームも何回もありました」
チームを勝たせるため。そして、自分に自信を持つため。月岡選手は地道に練習を重ね、大学最後のインカレ(トーナメント2回戦vs.青山学院大学)では、絶体絶命のピンチを救う3ポイントシュートを沈めて勝利の立て役者となりました。「最後にああいう形で大事な場面で決められるようになったのはすごく大きな自信になりました」
それでも、「B.LEAGUE DRAFT 2026」志望届の提出にはかなり悩んだそう。「B.ONEのクラブで名前を挙げてからB.PREMIERに挑戦する」という選択肢もあったからです。しかし、最終的には日本体育大学でのユニフォームナンバーであり、自身と姉、従兄弟の誕生日でもある11月「21」日にドラフト志望届を提出しました。決め手を尋ねると、月岡選手は次のように話しました。

「1つはレベルの高いところでやりたかったからです。B.PREMIERの所属クラブはバスケをプレーする環境面も整っているので、少しでもいいからそういう場所で自分を磨きたいと思いました。自分がドラフトに参加せず、ほかの同期たちがドラフトにピックされて活躍したら、きっと悔しい気持ちが残るだろうなとも思ったんです。それに、ドラフト制度の導入は日本のバスケの歴史の中ですごく大きなことなので、歴史が変わる瞬間に自分の名前を残したかったというところもありますね」
身近なお手本は、同じ172cmながらトップレベルの活躍を見せている齋藤拓実選手(名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)。スタッツに残らないプレーも含めて「チームを勝たせられるようなガード」を目指していく第一歩である「B.LEAGUE DRAFT 2026」で、運命の時を待ちます。
