チケット購入

B.MAGAZINE

水戸健史 フランチャイズプレイヤーが語るB.LEAGUEの10年 vol.2 「地元に残り続ける理由とファンへの感謝、そして北陸の象徴として描く富山グラウジーズの未来像」

2025.11.25

選手

Bリーグは10シーズン目という大きな節目を迎える。本連載ではその中で2016年の開幕からただ一つのクラブに所属し続ける、数少ない選手たちに話を聞く。第2回は富山グラウジーズの水戸健史選手へのインタビューを紹介する。

アルペンマガジンにてシューズやウェアなどについて語るスピンオフインタビュー掲載中!
Alpen Online
Bリーグは10シーズン目という大きな節目を迎える。本連載ではその中で2016年の開幕からただ一つのクラブに所属し続ける、数少ない選手たちに話を聞く。第2回は富山グラウジーズの水戸健史選手へのインタビューを紹介する。
Generated by Mj

 

B.LEAGUE創設がもたらした転機

 
自身のキャリアをB.LEAGUEとともに振り返ってもらった【(C)須田康暉】
 

――bjリーグから富山でプレーし続けてきた中で、B.LEAGUEが開幕した2016-17シーズンをどのように迎えましたか。

水戸 実はbjリーグ時代、30歳で引退を考えていました。ちょうどB.LEAGUEが開幕する年です。しかし、富山がB1に入れると決まったことで「もう一度頑張ろう」と気持ちが切り替わりました。ただ、当時、富山がB1の18チームに選ばれると思っていなかったので、川淵さん(川淵三郎 初代B.LEAGUEチェアマン)から参入クラブとして最後にグラウジーズの名前を呼ばれた瞬間は今でも鮮明に覚えています。開幕戦の代々木第一(国立代々木競技場第一体育館)での演出も衝撃的でしたね。bjリーグ時代とは全く違うメディアからの注目度に「これが新しいリーグなんだ」と感じました。

――当時と比べて、リーグ全体や富山の環境はどう変わりましたか。

水戸 bjリーグの頃はスタッフが数人しかおらず、コーチ、アシスタント、トレーナーに加えてマネージャーが広報や通訳を兼任するのが普通でした。遠征は自家用車や長時間のバス移動、時には12時間以上かけて青森へ行ったこともあります。そうした時代を知っているからこそ、今の環境がいかに恵まれているかを強く感じますね。Bリーグ発足後は年々整備が進み、2023年のFIBAワールドカップ(2023年FIBAバスケットボール・ワールドカップ)や東京とパリのオリンピック(東京2020オリンピック・パリ2024オリンピック)を経て観客動員は大きく伸びました。今では富山市総合体育館に4000人近い観客が集まり、会場周辺ではキッチンカーやイベントも定着。ブースター(ファン)が「非日常」を楽しめる場所に変わったと実感しています。

――この10年で最も印象に残った出来事は。

水戸 やはり最初の地区分けでB1に入れたことです。富山の名前が最後に呼ばれた瞬間は胸に刻まれています。あの判断がなければ、現在の盛り上がりはなかったと思います。bjリーグ最終年にファイナルへ進んだことも、クラブの努力の結実であり、自分にとっても大きな経験になりました。

――逆に最も悔しかった時期は。

水戸 B2に降格したシーズンです(2023−24 シーズン)。それまでも残留争いは何度も経験していましたが、実際に落ちる悔しさはひとしおでした。焦りもありましたが「1年で必ず戻る」という意志でチームが結束したのも事実です。もちろんブースターの皆さんの後押しも大きな力になり、結果的にB2初優勝とB1復帰を果たせました。粘り強く戦い抜けたのは富山らしさ、長年、クラブが築き上げたカルチャーだったと思います。

――富山のブースターの存在はいかがですか。どんなときでも暖かく応援をしてくれるという印象があります。

水戸 降格や残留争いという厳しい場面でこそ、一体感を強く感じます。ブースターは「自分事」として戦ってくれる。最後まで諦めない姿勢に何度も救われました。クラブがスタートして20年近く応援し続けてくださる方も多く、その歴史が今の熱量を支えていると感じます。

フランチャイズプレーヤーとしての責任

 
忘れられない指導者にボブ・ナッシュヘッドコーチを挙げた【(C)B.LEAGUE】
 

――クラブのスタイルやカルチャーはどのように変化しましたか。

水戸 城宝匡史さんとボブ・ナッシュヘッドコーチ(以下HC)の存在がとても大きいです。城宝さんは「勝たなければならない」という強いメンタリティをチームに根付かせ、ナッシュHCは人間的にも完成された指導でカルチャーを築いてくれました。そこから「勝負所で勝ち切る」富山の姿勢が生まれたと思います。

――影響を受けたチームメイトやコーチは。

水戸 城宝さんの勝負強さは忘れられません。第4Qで決め切る姿勢に多くを学びました。外国籍選手も個性的で、(ジュシュア・)スミスや(ジュリアン・)マブンガ、(サム・)ウィラードなど、多くの仲間から刺激を受けました。誰か一人に絞るのは難しいくらいです。

2016-17シーズンと2020-21シーズンに富山で共闘した城宝と水戸【(C)B.LEAGUE】
 

――開幕当初と比べて最も成長した部分はどこでしょう。

水戸 プレー面以上にオフコートでの自覚が大きくなりました。スポンサーや地域の方々との関わり方、クラブの顔としてどう振る舞うか。コートで結果を出すことはもちろんですが、それ以外の場面で「フランチャイズプレーヤー」としてどう貢献するかを考えるようになりました。

――「クラブの顔」と呼ばれることについてはいかがですか。

水戸 誇らしい反面、責任もあります。地元出身の選手がクラブにいることは地域にとっても意味がある。自分がその立場にいる以上、日々の振る舞いや姿勢で示さなければならないと考えています。

――富山一筋で現役生活を送られていますが、移籍の打診はなかったのですか。

水戸 話は何度もありましたが、富山から出ることは考えませんでした。地元出身の自分がいなくなると、僕個人を応援してくださっていた方がクラブから離れてしまうかもしれない。それは違うと思いました。子どもたちの転校も含めて、大きく環境が変わる家族の生活も考えましたが、何より富山が好きだから残りました。

富山とともに描く未来像

 
「将来は子どもたちにバスケの楽しさを教えたい」【(C)須田康暉】
 

――Bリーグが10年目を迎えます。これからのクラブの未来像をイメージできますか。

水戸 2026年から始まるB.革新のB.PREMIERに選ばれたのは北陸3県で富山のみです。それだけに北陸地域を代表するクラブとして存在感を示してほしいです。富山だけでなく石川や福井からも観戦に来てもらえるようなクラブになれば、裾野も広がり、バスケ人口も増えると思います。北陸新幹線の開通により、かなり移動時間が短縮されたのも追い風になるのではないでしょうか。

――ご自身はその未来にどう関わりますか。

水戸 プレーヤーとしての時間は限られますが、バスケを通じて地域に恩返しを続けたいです。特に子どもたちに楽しさを伝え、その先にある厳しさも教えていきたいです。自分としてはトップチームの指導者になるつもりはありませんが、ユース世代の普及活動には積極的に関わりたいと思います。

――18年のキャリアの中で、大きな怪我もなかったのでは。

水戸 バスケ選手であれば足首、膝、腰などに怪我を負うのは職業病のようだったりしますが、これが僕の場合、本当に大きなものはありませんでした。丈夫な体に産んでくれた両親には感謝しないといけないですね。

――最後に、ファン・ブースターへメッセージをお願いします。

水戸 今シーズンも悔いのない一年にします。これまでの応援に感謝し、プレーで恩返しできるよう全力を尽くします。これからも一緒に富山のバスケを盛り上げていきましょう。

インタビュー=入江美紀雄(バスケットボールキング)
写真=須田康暉

アルペンマガジンにてスピンオフインタビュー掲載中!
Alpen Online
富山グラウジーズ 水戸健史が語る、バッシュ選びと私服スタイルのこだわり/フランチャイズプレイヤーが語るB.LEAGUEの10年 vol.02
Bリーグは10シーズン目という大きな節目を迎える。本連載ではその中で2016年の開幕からただ一つのクラブに所属し続ける、数少ない選手たちに話を聞く。第2回は富山グラウジーズの水戸健史選手へのインタビューを紹介する。
Generated by Mj

PICKUP VIDEO

Bリーグ
オリジナル特集