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川崎・米須玲音が刻んだ高校最後の冬「決勝の敗戦は「人生の宝物」に変わった」SoftBank ウインターカップ2025特別企画

2025.12.18

選手

 

日本一に届かなかった決勝と経験がもたらしたもの

 

12月23日から「SoftBank ウインターカップ2025」が開催される。

高校バスケの集大成となるウインターカップはこれまで数々のドラマを生み、多くのスターを輩出してきた。本企画では、ウインターカップで飛躍を見せ、現在Bリーグで活躍するスター選手に直撃し、当時の思いを聞くとともに今大会に出場する選手たちにエールを送ってもらう。第2回は川崎ブレイブサンダースの米須玲音選手が登場。

東山高(京都)の米須選手は2018年大会から3度ウインターカップに出場を果たしている。1年生では2回戦で、2年生では準決勝でそれぞれ福岡第一(福岡)に惜敗。そして3年生を迎えたが、インターハイは新型コロナウイルスの影響で大会自体が中止となってしまった。自粛期間もあった中で、何とかチーム力を上げて挑んだ、集大成のウインターカップでは、決勝まで勝ち進んだ。しかし、リードして迎えた後半、フルコートプレスを展開した仙台大明成(宮城)に差を詰められると、残り5秒で逆転を許して頂点には一歩届かなかった。

福岡第一に敗れた悔しさ、コロナ禍で迎えた最後の冬、不安と隣り合わせだった大会、そして悲劇的敗戦。ウインターカップを「人生の宝物」と語る米須選手に、高校3年間で積み重ねてきた時間と、あの舞台で得たもの、そしてこれから聖地に立つ高校生たちへのメッセージを聞いた。



――中学校時代はスコアラータイプだったようですね。東山高で一気にゲームメイクの部分が成長したのでしょうか?

中学生の時もパスは得意な方ではありましたが、パスより自分で点を取るという感じでした。東山では、留学生との合わせといったプレーが増えたこともあって、パスがより際立っていったのかなと思います。

――ウインターカップは1年生から出場しています。1年生、2年生では共に福岡第一に敗れる結果となりました。1学年上の河村勇輝(元ブルズ)選手に対し、高校1年生では「こんなにすごいのかと痛感させられました」と語り、高校2年生の大会前には「河村さんが高校にいる間に勝たなければ」と語るなど、かなり意識する存在だったようですね。

1年生の時は、何もできなかったという記憶が残っています。そこで色々と模索しながら練習や自主練の中で成長していかないといけないなと考えていました。2年生でも負けてしまったのですが、(前年よりも)食らいついていけたと記憶しています。

――高校1年時の福岡第一戦の4Q最後、ベンチに下がる際に大澤徹也コーチから「この試合を忘れるなよ」と言われたというエピソードもありました。

そうですね。そこからの1年間、2年時のウインターカップまで自分が成長したきっかけになる試合だったと思います。

高校1年生のウインターカップで河村選手と対戦
 

――3年生ではコロナ禍でインターハイが中止に。自粛期間となり、練習すらままならない期間が続きました。

中止の知らせを聞いた時は、何も考えられなくなったのを覚えています。その後、「切り替えるしかない。ウインターカップはあると信じるしかない」となりましたが、練習はすぐにできませんでした。夏休みも帰省せずに京都に残っていた僕は、外でトレーニングをやっていたりしましたね。とりあえず体を動かそうという感じでした。京都駅の近くにあった公園まで自転車で行って、シューティングをしていた覚えがあります。

――自粛期間が明けても、チームが元通りといくわけではありませんよね。

みんながやっとバスケができるという気持ちにはなっていたんですけど、どこを目指していくのかというのも曖昧だったし、チーム練習ができていなかった中で「合わせる」というところは結構苦労しました。気持ち的に頑張ろうというのはあったと思うんですけど、チームがうまく団結できていなかったところはあったと思います。

――そういった流れもあって、大澤コーチ自らコートをラッピングしてくれるというサプライズがあったと聞いています。

ありました! チームカラーの黒にしてくれたんですけど、コートの雰囲気だけで強そうな感じですごくうれしかった記憶があります。よりバスケをやりたくなるという感じでした(笑)

大澤コーチ(写真左)と米須
 

「あの経験があったからこそ今の自分があるのかな」

 

――ウインターカップの中では、「ウイルスの問題で出場辞退したチームの分まで楽しみたい」という言葉もありました。選手たちは“いつ自分が発症するか”という不安を抱えていたわけですよね。

自分たちも辞退することになるのではないかという不安が常にありました。あの大会では毎朝会場に入る時に、検査があったんです。結果が出るのをドキドキしながら待っていました。。クリアした時はホッとするのですが、次の日もそれがあるわけです。大変でしたし、ずっとドキドキしていたという記憶です。

――そんな不安も乗り越えて決勝まで勝ち上がりました。しかし、仙台大明成に残り5秒で逆転を許してしまうという結末を迎えます。5年経った今、どのように受け止めているでしょうか。

あの試合で日本一になっていたら、その先の自分はどうなっていたのだろうかと考えることもあります。一方で、あそこで勝てなかったからこそ、次こそはという気持ちになれた自分もいました。あの経験があったからこそ、今の自分があるのかなと思います。

――この経験をプラスに持っていかなければということも考えましたか?

それはありましたね。その先、大学でという考えもあったので、そこでもう一回日本一を目指そうとやってこられたと思います。

――結果的に大学4年生でインカレを制することになりましたね。今、高校3年生の自分にアドバイスするならどんな言葉を送りますか?

もう「バスケよりも体作りをしっかりしとけよ」と言いたいですね(笑)。今の高校生を見ても思いますが、当時の自分を思い返すと「それじゃ勝てないよ」という感覚になるんです。特に筋力です。バスケのプレー自体は自主練もしっかりやっていた方だったので、そこは自画自賛してもいいのかなと思うんですけど、体作りはもう少しやっておくべきだったと思います。

 

――高校時代の米須選手にとって、ウインターカップはどんな舞台だったのか教えて下さい。

「人生の宝物」です。自分自身、高校3年間が一番成長したし、バスケに打ち込めた時間だったと思っています。中学生の時は好きにやっていたと言ったら変ですけど、そういったところもありましたし、大学でバスケに打ち込んでないといったら嘘になりますけど、高校での3年間があったからこそ今があるのは間違いないです。本当に濃い時間でした。

――今大会、母校は1回戦で強豪の中部大第一(愛知)と対戦します。エールをお願いします。

まずは勝たないといけないので、悪い内容だったとしても勝つことにフォーカスしてやってほしいです。仮に調子が上がらなくても、勝てば次がありますし、調子を上げていければ優勝に繋がると思います。逆に言えば、大事な初戦で中部大第一に勝てば調子に乗っていけるんじゃないかなと思います。

――組み合わせを見た時は、どんな印象でしたか。

正直、「うわぁ、結構苦手な相手だな」と思いました。自分らの代もそうでしたが、相手の身長がそれほど大きくなければ、やっていけるんです。けど、サイズがあるチームは苦手なんですよね。相手もスカウティングをしてくるはずですし、ゾーンディフェンスをうまく展開されたら、結構厳しい戦いになると思うので、注意して戦ってほしいですね。大学4年時に、教育実習で東山に戻ったことがあって、2、3年生は特に関わりが深いし思い入れもあります。ウインターカップ初優勝に向けて頑張ってほしいです。

――何より持てる力をしっかり発揮してほしいですよね。大舞台で力を発揮するうえで大切なポイントはありますか?

自分を信じるしかないと思います。僕も3年生の時はそうだったんですけど、練習や自主練をやってきたから自信を持ってプレーができたんです。明成戦のフリースロー3本(最終盤に決めたフリースロー。残り16.4秒に同点に持ち込んだ)のことをよく聞かれるんですけど、あの時は何も考えずに打っていたんです。自主練でもフリースローを練習していたし、自信があったからこそ入ったんだと思うんです。だからこそ、自信を持ってプレーするしかないと思います。

――最後にウインターカップに出場する全ての高校生に向けてメッセージをお願いします。

優勝して笑顔で終われるのは1チームだけ。でも、そこを目指して頑張ってほしいです。そのためにも今までやってきたことを出し切ることと。やってきたことが繋がると思うので、悔いを残さないように自信を持ってプレーしてほしいです。

――ありがとうございました。
 

自信があったからこそ入ったと語ったフリースローのシーン
 

写真/©B.LEAGUE、月刊バスケットボール(ウインターカップ写真)

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