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B.LEAGUE HERO's STORY「富樫勇樹」#4

~interviewer 小松成美~
第1回第2回第3回はこちら

第4回  自分が「正しい」と思った道を行く

運命だったアメリカ留学

小松:
日本のバスケを牽引されている富樫さんですが、幼少時代からの話を聞かせてください。富樫さんが小学生のころは、プロのバスケットボール選手は存在しませんでしたね。どうしてバスケットボールを選んだのですか。やはり、ご家族の影響ですか。

富樫:
はい。父がバスケットボールのコーチでしたし、母も学生時代にバスケットボールをやっていました。姉と妹も中学校まではバスケをやっていました。私は小学校1年の時にミニバスケットボールを初めて、小学校も中学校もずっとバスケをやっていました。

小松:
まさにバスケットボール一家ですね。そんなご家庭で、中学時代はお父さんがコーチをされている本丸中学校で日本一になって、高校からアメリカに行くことになりますよね。後押しをしたのがバスケットボール界で数々のチームを勝利に導いてきた中村和雄先生だったんですよね。

富樫:
進学する高校を探しているとき、中村先生にアメリカ行きを後押しされるのですが、最初は半分冗談だと思ったんです(笑)。でも、正直当時は、日本にはどうしても行きたい高校がなかったので、アメリカ行きが僕の中で現実味を帯びていきました。

小松:
中学時代に全国大会で優勝をして、行ける高校の選択肢はたくさんあるにもかかわらず、どうして行きたい高校がなかったのですか。

富樫:
どの高校の監督も父の知り合いで、素晴らしい環境があるのは分かっていましたが、それが自分にとって“ぬるま湯だ”と感じていたのかも知れません。

小松:
進学したのはメインランド州ロッキービルにあるモントローズ・クリスチャン高校です。文化も言葉もわからないアメリカに行くことを決断したわけですが、怖くはなかったのですか。

富樫:
それが、ぜんぜん怖くなかったんですよ。海外で生活をすることがどのぐらい大変なのか、言葉が違うところで暮らすことがどれほど大変なのか、よくわからない中学生だったから、行けたんだと思います(笑)。当時は、バスケットボールをやるんだから、日本でもアメリカでも、あまり代わらないだろう、と思っていました。

小松:
知らないことがアドバンテージだった。中途半端に知っていたら、英語を学んでから行こう、とか、日本人がいる学校にしようとか、考えていたかもしれませんよね。英語での授業は、もちろんわからないですよね?

富樫:
授業に関しては、最後までよくわからなかったです(笑)。最初の年は、YESとNOの二語だけで乗り切りました。

小松:
でも数学の成績は優秀で、アメリカの同級生に教えていたそうですね。。

富樫:
いや、それは少々違ってまして(笑)。数学が得意なのではなくて、アメリカの高校生の数学って、日本の中学生のレベルなんです。ですから留学して1年目は中学校の数学を復習している感じで、だから周りに教えられたんです。それに数学は、数字を書けばいいので英語も必要ないですしね。

小松:
今振り返ると、15歳から18歳のという時期にアメリカに渡り、得たものは何だと思われますか?

富樫:
バスケに関しては、あの年代でアメリカを経験できたことは、今の自分の素地に間違いなくなっていると思います。

小松:
生活面では?

富樫:
難しいですね。行ってなかった自分を想像できないんですよね。でも当時から私はすごくシャイで、インタビューなどでもほぼ喋れなかった性格だったのですが、アメリカに行ってそういう面は変わってポジティブになりましたし、明るくなりました。性格が変わった結果はバスケにもいい影響を与えたのではないかと思います。

日本での試練、そして運命のチームとの出会い

小松:
帰国されてからは進学せずに、中村和雄さんが監督を務めるbjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入られますね。秋田はどんなチームでしたか。

富樫:
そうですね、常に監督と戦ってました(笑)。中村和雄さんを僕はカズさんと呼んでいたのですが、カズさんの厳しさは尋常ではなかったです。褒めて伸ばすなんて環境はゼロ。徹底的にダメなプレーを指摘されました。でも、僕は、秋田で選手としてのスタイル、バスケットをプレーする上での方向性を築くことができました。それは完全に中村監督のお陰ですし、その影響です。

小松:
アメリカ時代は、パスを回すことが富樫さんの役割だったのですよね。それが「シュートを決める」という役割にシフトした。

富樫:
カズさんからはいつもこう怒鳴られていました。「チビが点数取らなきゃ、いる意味ないだろ!」って(笑)。でもそれは本当の話で、背が低い自分の仕事は何なのか、と真に己を見つめることになりました。シュートを打って、得点を重ねることでチームに絶対必要な選手になる、という気持ちが固まった。ですから、どんな瞬間もシュートを狙いに行くというメンタリティは、秋田の頃に完成したとも言えますね。

小松:
そして2014年には、もう一度渡米し、NBAのサマーリーグで、ダラス・マーベリックスに入られます。アメリカでの挑戦はやはり夢でしたか。

富樫:
そうですね。実は高校時代の目標は、ディビジョン1の大学から学費全額免除のスカラーシップのオファーをもらうことだったのですが、どの大学からも話がなくて、心が折れて日本に帰ってきたんですね。そして秋田に入って1年半を過ごして、もう一回アメリカでチャレンジしたい、という気持ちは日々大きくなっていきました。でもサマーリーグの後に、NBAのドラフトを受けられる、という実力が自分にあるのか、ないのかは、正直わかりませんでした。

小松:
2014年7月にはNBAサマーリーグにダラス・マーベリックスの一員として出場し、10月には、NBA選手契約をマーベリックスと結びますね。直後にマーベリックス傘下のテキサス・レジェンズに加わり、プレーすることになりますね。

富樫:
NBAの下部組織ですが、テキサス・レジェンズでプレーすることは、自分にとってプラスになるだろうと思っていましたし、そこで1年間プレーできたのは、なににも変えられない素晴らしい経験でした。

小松:
このテキサスでの1年間は、今の富樫選手を作っていると言っても過言でないということですね。

富樫:
そうですね。僕は人生において、一つ一つの選択が、常に良い選択だったと言える自信があるんですよ。アメリカの高校への進学も、アメリカの大学には行かず日本に帰ってきたことも、最良の選択だったと思います。アメリカの高校時代のチームメイトと話す時も、「あの時、ユウキはアメリカに進学せず、日本に帰ってきて正解だったよ」と言われます。アメリカで大学に行ったとしても、特に強い大学に行けば行くほど、出場機会も少なくなり、選手としての経験が希薄になるんですね。日本に戻ってきて、秋田に入り、日々ゲームに出場出来たことが、バスケットボール選手としてのキャリアの礎になっていますからね。

小松:
常に正しい道を選択したという自信、素敵ですね。そうしてバスケットボール人生を歩み、いよいよ千葉ジェッツというチームと巡り会いますね。このチームに入ったのも大きかったのですか。

富樫:
そうですね、たまたま島田社長、今は会長ですが、島田さんが僕と同じ新潟出身だったということもあり、熱心に誘っていただきました。島田さんは一言で言うなら熱い方です。多分バスケは未経験だと思いますし、最初のころはほとんどわからなかったはずですが、今はずっとバスケを語れるぐらいバスケのことを熟知し、好きになってくれています。そんな代表の下で選手として戦えるのは、幸せなことですね。

小松:
島田会長とは語り合ったりされるんですか。

富樫:
最近は少なくなってきましたが、入った1年目などは、食事しながら長い時間バスケについて話しました。Bリーグが始まる前年は、全然試合に出られなかったのですが、そんな自分のことを気にしてくれて度々食事に誘ってくださったんだと思います。言葉にはしませんでしたが、島田社長の優しさ、思いやりにプレーで応えるのだ、と誓っていました。

小松:
アメリカから帰国されて1年目、ジェッツに入団後の、なかなか試合に出られない時間も重要だったんですね。

富樫:
ええ。自分を見つめる良い機会でした。あの時期は、島田社長は私のことをかなり心配してくれてたんだと思います。多分、来年チームを出て行くんじゃないか、って思っていたくらいに(笑)。

初めての怪我、そしてこれから

小松:
千葉ジェッツに入団されてから、今年で4年になりますね。Bリーグという過酷な環境の中で競技をしながら、日本代表としての希代も背負っています。非常にタフな環境に身を置いていると、いい時も辛い時もあるはずです。そんな中、2019年7月20日に代表合宿での練習中に右手に骨折を負うアクシデントに見舞われました。辛い状況に陥ってしまいましたが、現在の状況はいかがですか。

富樫:
手術してちょうど1ヶ月ぐらいで、かなり良くなっています。全治2ヶ月と言われていまして、Bリーグの開幕には間に合いそうです。右手の甲の手術の傷も綺麗になってきて、痛みも徐々に弱くなっています。

小松:
気持ちは開幕に向かっているんですね。トレーニングもスタートしたのですか。

富樫:
今はボールを触ったりして、トレーニングできることは多いのですが、まだ動きによっては痛みがあるので、徐々に様子を見ながら、右手を動かしています。

小松:
大きな怪我されたのは初めてだったのですか。

富樫:
はい。骨折も手術も初めてでした。ですから折れたショックよりも手術が怖かったです。麻酔して手術をするということを想像するだけで怖かった。局部麻酔でしたが、手術台で寝ていました。すると無事手術が、終わっていました。

小松:
Bリーグの開幕に間に合うというのが、不幸中の幸いでしたね。

富樫:
はい。もちろん、必死で予選を戦い出場を掴んだワールドカップの舞台に立てなかったことへの悔しさはあります。が、今はすっかり気持ちを切り替えていますよ。開幕に間に合うというのはすごく大きいと思います。来年のオリンピックのためにも。

小松:
富樫さんは、日々バスケットボール漬けの毎日だと思うのですが、時にはリフレッシュなども当然必要ですよね。バスケットボール以外で、熱中していることがありますか。

富樫:
最近なんですが、休みの日にはゴルフに行きますね。5年前ぐらいから、ずっとゴルフをやりたいなという気持ちがあったのですが、なかなかやる機会がなかったんです。でも田口成浩選手が秋田ノーザンハピネッツから千葉ジェッツに移籍してきまして、ゴルフが得意な田口選手がコースに誘ってくれて、一緒に回っています。

小松:
打ちっ放しに行かれたり、結構練習もしたり、準備してからコースへ行くのですか?

富樫:
いや、それが練習はほとんどしないで、実践あるのみです(笑)。千葉のゴルフコースはすごく綺麗で、景色も素晴らしいですよ。最高のリフレッシュタイムです。

小松:
ゴルフはバスケットボールとは対照的なスポーツですよね。止まっているボールを打つ競技ですから。

富樫:
はい、とても難しいですよね。でもNBA選手でもゴルフをする方って多いですよね。

小松:
マイケル・ジョーダンもゴルフが上手いですよね。バスケでも、ゴルフでも、富樫さんは自分のプレーをビデオで確認したりするのですか。

富樫:
自分では、あまり映像で自分のフォームなど見ないですね。

小松
コートに立ち、プレーする富樫さんの姿勢フォームは、本当に美しいです。てっきりフォームを意図的に整え、時には矯正しているのかと思いました。

富樫
いや、まったくの自然体です。

小松
天性の運動センスが、美しいフォームの基礎だとは思いますが、誰よりもコートに立って練習しているからこそ、あの美しいフォルムが完成したのだと思います。

富樫
ありがとうございます。確かに、工夫してトレーニングするのが好きなんです。肉体の可能性は自分が思っている以上にあるはずで、そこを開拓していくことに子供の頃から興味がありました

小松
バスケットボールをジャグラーのように扱う、富樫さんのトレーニングを映像で観たことがありますが、ああしたことの積み重ねが、ゲームでの鮮やかなスリーポイントシュートや電光石火のドライブに繫がっているのでしょうね。

富樫
もうベテランと呼ばれる年代になってきましたが、自分の可能性をみつける旅はこの先も続いていくと思います。

小松
ゴルフ以外にも興味のあるスポーツはありますか? ちなみに、子どもの頃からバスケ一筋で、他の競技には興味湧かなかったのですか。

富樫
それが実は、小学校の時、バスケをやりながらずっと「サッカーがやりたい」と言っていたんです(笑)。学校で友達とボール蹴るくらいなのですが、感覚的に、サッカーなら世界のレベルでもやれる、って思い込んでいました。サッカーなら僕の身長でも十分にやれるでしょうし、体と動きの特性も、サッカーに向いているんじゃないか、と思っていたんですよ。

小松
Jリーグ、そしてサッカー日本代表への道もありましたね(笑)。

富樫
サッカーに興味を持ちながら、「でも分自分は、バスケで生きていくんだろうな」とも感じていましたね。小さい頃から家にバスケットゴールのリングがあったり、親もバスケをやっていたり、という環境でしたから、バスケの魅力には抗えなかったです。

小松
いずれにせよ、スポーツエリートになる環境があった、ということですね。 さて、いよいよBリーグの新たなシーズンの戦いが始まります。今後の目標やビジョンがあれば教えてください。

富樫
それが、あまりないんですよね(笑)。でも一番近い目標はやはりオリンピックですね。日本代表のユニフォームを着て、オリンピックゲームに挑んだとき、どんな感情が沸き起こるのか、どんな光景が見えるのか、少しだけですが想像します。そのメンバーに選ばれるよう、一試合一試合、ワンプレーワンプレーを大切にしてきたいです。オリンピック以降に関してはあまり想像がつかないんです。あまり考えても出てこないんですよね。

小松
2年逃しているBリーグのチャンピオンの座は、意識して戦いますか

富樫
日々のプレーを積み重ねた先に、あの光りに包まれたコートがあるはずです。次は絶対負けたくないですね。

小松
Bリーグもオリンピックも応援しています。

富樫
ありがとうございます。自分の人生の中でも特別な一年にしたいと思っています。
(終わり)

小松成美

プロフィール
神奈川県横浜市生まれ。広告代理店、放送局勤務などを経たのち、作家に転身。
生涯を賭けて情熱を注ぐ「使命ある仕事」と信じ、1990年より本格的な執筆活動を開始する。
真摯な取材、磨き抜かれた文章には定評があり、数多くの人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。
主な作品に、『アストリット・キルヒヘア  ビートルズが愛した女』『中田語録』『中田英寿 鼓動』『中田英寿 誇り』『イチロー・オン・イチロー』『和を継ぐものたち』『トップアスリート』『勘三郎、荒ぶる』『YOSHIKI/佳樹』『なぜあの時あきらめなかったのか』『横綱白鵬 試練の山を越えてはるかなる頂へ』『全身女優 森光子』『仁左衛門恋し』『熱狂宣言』『五郎丸日記』『それってキセキ GReeeeNの物語』『虹色のチョーク』などがある。最新刊、浜崎あゆみのデビューと秘められた恋を描いた小説『M 愛すべき人がいて』はベストセラーとなっている。
現在では、執筆活動をはじめ、テレビ番組でのコメンテーターや講演など多岐にわたり活躍中。

福岡耕造

プロフィール
写真家、映像作家
人物撮影を中心に広告、出版他多くの媒体で活動する。
撮影対照はアスリート、タレント、音楽家、政治家、市井の人々など多岐にわたる。
代表作品は「島の美容室」(ボーダー・インク)、「ビートルズへの旅」リリーフランキー共著/新潮社)など。

撮影 : 福岡耕造
演出.編集 : 福岡耕造
アート・デレクション : mosh
音楽 : 「Room73 」波・エネルギー