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岸本隆一 フランチャイズプレイヤーが語るB.LEAGUEの10年 vol.5「沖縄出身ならではの責任とともに…“琉球の象徴”が思い描く未来とは」

2025.12.30

選手

琉球一筋でキャリアを重ねてきた岸本

B.LEAGUEは10シーズン目という大きな節目を迎える。本連載ではその中で 2016年の開幕からただ一つのクラブに所属し続ける、数少ない選手たちに話を聞く。最終回の第5回は琉球ゴールデンキングスの岸本隆一。地元・沖縄県出身の選手として戦ってきた男が、責任との向き合い方、仲間やコーチ、ファンの存在、そして未来について語った。

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“日本一”への道が開いたBリーグ開幕


――2016年にBリーグが開幕すると決まった当時、どんな心境だったか覚えていますか。

岸本 国内に男子のトップリーグが2つある中で戦っていたので、1つになると聞いた時は率直にワクワクしていました。より良い選手になっていけるチャンスが増えていくだろうなという思いもありましたし、何より本当の意味で“日本一”を目指していけるというところに、すごくワクワクしていました。人によって感じることは違うと思うんですけど、周りの選手たちも、少なからずポジティブというか、変化していくことに対して前向きにとらえていた印象でしたね。

――2016年9月、新時代の到来を告げるBリーグ開幕カードにも選ばれましたね。

岸本 Bリーグ開幕カードに選ばれたことについては、責任を感じました。プロモーションのこともあって、開幕前はコート外の仕事がすごく増えたんですけど、それだけたくさんの方に期待していただけているんだなというのを感じましたし、開幕カードに選んでもらってからは、試合当日まで日に日に責任が増していくような感覚でした。
 

2016年9月22日の開幕戦、岸本は4得点0アシストと振るわずチームも敗れた【(C)B.LEAGUE】

――あれから9年が経ちました。開幕当時、2025年も琉球でプレーしていると想像していましたか。

岸本 キングスでプレーできていたらいいな…とは思っていましたけど、毎年毎年が勝負だったので、あまりそんな長いスパンでは考えられていなかったかなと思います。

――これまでのプロキャリアで印象的だった思い出のシーンはありますか。

岸本 2022-23シーズンにBリーグで初めて優勝できたことは、すごく印象に残っています。でも、こうして振り返ってみると、毎シーズンを結構鮮明に思い出せます。それぐらい毎年毎年、特別な思いを持って臨んでいたんだなと思います。

思い出深い仲間とヘッドコーチ


――キャリアを通じて、印象に残っているチームメイトはいますか。

岸本 今思い浮かぶのは、やっぱり並里成選手(現:FE名古屋)ですね。同じ沖縄県出身の選手で、沖縄のチームで、体のサイズ感も同じでしたから。バスケットボールの試合で、小柄な選手が同時に2人コートに立つことはなかなかないと思うんですけど、2人で協力して一緒に試合に出ていたというのは、僕にとってすごく印象深いです。もちろん並里選手だけじゃなくて、一緒にプレーした選手はみんなそれぞれのストーリーがあって、印象に残る選手が多かったなと思います。

1歳差の2人。年下の岸本は2018-19シーズン当時28歳だった【(C)B.LEAGUE】

――並里選手とは、どのような関係性で切磋琢磨してきたのでしょうか。

岸本 お互いのプレーについて、口に出して意見することはほとんどなかったです。僕も並里選手も主張が強いタイプの選手だと思うんですけど、お互いのプレーを尊重しあえたというか、お互いの良さや実力を認めあっていたと僕は思っているので、自然にケミストリーが築けていったのかなと思っています。ただ、20代の頃は練習中にバチバチやっていましたよ。そうしないと試合に出られないので(笑)。それも今では良い思い出ですし、今でも彼の活躍というのは気になっています。

――印象に残っているヘッドコーチはいますか。

岸本 みんな印象に残っていますよ。bjリーグ時代の最初の半年間は遠山さん(遠山向人・現熊本ヴォルターズHC)がヘッドコーチで、その時にバスケットの奥深さを身をもって感じましたし、その次のむーさん(伊佐勉・現京都ハンナリーズHC)のおかげで僕の今のキャリアがあると思っています。むーさんの下でたくさんトライ&エラーを経験させてもらったことが、今の自分のキャリアに結びついているなという印象です。

その後、佐々さん(佐々宜央)がヘッドコーチになって、優勝に必要な選手とは何かという部分をシビアに考えるようになりましたし、バスケットの厳しさと準備の大切さを学びました。藤田さん(藤田弘輝・現大阪エヴェッサHC)の時は、とにかく「全員でバスケットしよう」というところで、プレータイムもボールもみんなでシェアして、チームとしてハードワークすることの重要性を学びました。

そして桶さん(桶谷大ヘッドコーチ・現琉球ゴールデンキングスHC)。僕のキャリアの中で一番、自分の能力を発揮させてもらっているヘッドコーチに巡り会ったなと思っています。今こうして振り返ってみると、全てのコーチのもとでステップアップしてきましたし、すごく幸運だなと思います。

琉球のHCを務めてきた伊佐勉、佐々宜央、藤田弘輝、桶谷大【(C)B.LEAGUE】

責任への向き合い方とターニングポイント


――琉球一筋14年目を迎えました。“フランチャイズプレイヤー”と呼ばれることも多いと思いますが、チーム内での立ち位置や見られ方の変化はどう感じていますか。

岸本 そう見られる機会が増えた、というのは感じますね。僕の地元のクラブでもありますし。ただ、自分の“フランチャイズプレイヤー”としての立ち位置というのは、あまり変わっていないというか、変えちゃいけないとも思っています。一選手ではあるんですけど、地元出身の選手として地元のクラブで試合に出ることは、またちょっと違った意味合いがあると認識していました。チームで一番結果を残さなければいけないというのはずっと今も思っていることで、それが自分の責任かなと思ってプレーしています。

――その責任は、重いプレッシャーとして感じるのか、それとも意気に感じられているのか、どちらの方が大きいですか。

岸本 どちらもですね。両極端というより、その間を行ったり来たりしている感じで、プレッシャーに感じることもありますし、これは自分がより良くなるためのステップだと思える時もあります。昔は、なかなか受け入れたくないことも多かったですけど、今はわりと、どういうことが起こっても一旦全部受け入れて、自分がどう振る舞うべきかを少し考えられるようになってきました。プレッシャーも感じますけど、それを自分の力に変える術も、少しずつ学んできたかなと思います。

――バスケットボールキャリアにおけるターニングポイントはありますか。

岸本 プロキャリアの序盤に伊佐ヘッドコーチのもとでプレーできていたことは、すごく幸運だったなと思いますね。プロは結果を残すことが絶対に必要なんですけど、当時の自分は今よりも圧倒的にミスのほうが多くて、試合中の単純なミスもたくさんありました。それでも僕のことを使い続けてくれて、なおかつチームメイトも合わせてくれました。当時の経験が今のキャリアにつながっている大きな要素の一つだったのかなと思います。

移籍も選択肢に…それでもキングスを選び続けた理由

 
キャリア選択の連続で作り上げられた“琉球の象徴“

――琉球一筋でプレーしてきましたが、これまで移籍を考えたことはありますか。

岸本 ありますよ。自分の可能性を広げる選択肢として(移籍を)考えたことは何回もあります。自分がより良い選手、より良い人間になっていきたいという思いが根本にあって、そのためにはどうするべきか、というところでずっと考えてきました。そのうえで、「今の自分にとって一番いい選択は、おそらくキングスでプレーすることだろう」という結論をこれまで何度も繰り返してきた、という感覚です。

――同じ環境、同じクラブ、そして地元でプレーし続けることにマンネリを感じたことはありませんか。

岸本 ここにいるのが当たり前になるだろうな、という感覚になってしまうのは、自分でも認識していたので、そこは本当に気をつけて毎年取り組んできました。何よりも、一番コートで結果を残さなきゃいけないということが、同じクラブに長くいる選手の一番大事な部分かなと思っていたので、結果的にはマンネリ化はしていないと思います。

――琉球一筋でプレーしてきたからこそ、ファンの存在を強く感じることもありましたか。

岸本 沖縄ってとにかくバスケットを好きな方が多いんですよね。だから、チームがうまくいっていないときに、ポジティブな声をかけてくれる方が多い印象があります。時には“正しい批判”というか、耳が痛い言葉をいただくこともありますけど、僕たちはいろんな声を力に変えなきゃいけない職業でもあると思うので、それは真摯に受け止めて、力に変えていこうと思っています。ただ、キングスのファンはみんな優しいですね。いつでも自分たちが前向きになれるような声をかけてくれる方が多いかなという印象です。

未来への視線と“今を生きる”スタンス


――ご自身の5年後、10年後の理想の姿は思い描いていますか。

岸本 10年前、20年前に「こうなれたらいいな」という理想はなんとなくありましたけど、この10年間は当時の自分が想像できなかったことが本当にたくさん起こっているんですよね。

なんでそういうことが起こっているのか、自分なりに紐解いて考えると、やっぱり目の前のことを一生懸命やった先に、いろんなことがつながっていくんだろうなと感じました。だから今は、漠然とこうなったらいいなと思うことはありつつ、もし思い描いていた未来じゃなかったとしても、自分なりに幸せを感じられる生活ができていたらいいかな、という感覚です。

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――5年後、10年後の琉球ゴールデンキングスに期待することはありますか。

岸本 今クラブとしては「沖縄を世界へ」というビジョンを掲げていて、本当にその言葉通りだと思っています。5年後と言わず1、2年後にでも、「日本のバスケットボールチームといえばキングス」と言ってもらえるような存在になっていてほしいという思いがあります。とにかくキングスには歩みを止めずに、どんどんBリーグを引っ張るようなクラブであってほしい、というのが個人的な思いですね。

Bリーグ開幕10周年の節目に寄せて


――まだ現役選手ではありますが、引退後のキャリアについて考えることはありますか。

岸本 何をしているんだろうな…とぼんやり考えることはありますけど、引退後にしたいことは特に決めていなくて。そこは、ちょっとまずいのかなと思う部分でもあります(笑)。先ほどの話と重複しますけど、自分にできることをしっかり頑張っておけば、必ず何かにつながると信じて、今は頑張っている段階です。

――将来も琉球やバスケットボールに関わり続けたいという思いはありますか。

岸本 その可能性があるならいいな、とは思います。でも、バスケットボール界とキングスに必要と思われる人間でいられるようにしたい、というのがまず一番です。

未来のためにも“今を生きる”岸本

どういう立ち位置になっているかは分からないですけど、いずれにせよ、バスケット以外の場面でも、選手を引退した後もちゃんと必要とされて、社会に貢献できるようなことはしたいなと思っています。

――最後に、これまで応援してくれたファン、そしてこれからも琉球を応援してくれるファンの皆さんへメッセージをお願いします。

岸本 本当に毎シーズン、熱く、そして優しく自分たちのことをサポートしていただいて、すごく感謝しています。今、自分たちが持っている感謝の気持ちは、必ずコートで返していきたいと思いますし、何よりもコート上で結果を残すことで見ている人たちに何か伝わることがあると思うので、その気持ちと初心を忘れずに、残りのシーズンも戦っていきたいと思います。

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