三河・石井講祐、21年ぶり出場の母校へ送るエール「緊張も失敗も全部楽しんでほしい」SoftBank ウインターカップ2025特別企画

プレーヤーとしてのベースを作った文武両道の3年間
12月23日から「SoftBank ウインターカップ2025」が開催される。
高校バスケの集大成となるウインターカップはこれまで数々のドラマを生み、多くのスターを輩出してきた。本企画では、ウインターカップで飛躍を見せ、現在Bリーグで活躍するスター選手に直撃し、当時の思いを聞くとともに今大会に出場する選手たちにエールを送ってもらう。最終回はシーホース三河の石井講祐選手が登場!
石井選手は文武両道を大切にする地元千葉の県立高校、八千代高に進学。全国の舞台を目指して積み重ね、2年生のインターハイで初めて全国大会を経験。そして、その冬にウインターカップに初出場を果たした。ベンチから流れを変える役割を担い、強豪相手にも臆せず得点を重ねた大会を振り返り、「やりきったという記憶です」と語る。
一方で、石井選手が語るウインターカップの価値は、結果だけではない。洛南に敗れた直後、恩師・中嶽誠コーチ(現順天堂大)から告げられた「次の代はお前がエースだぞ」という一言が、次のステージへ向かうスイッチになったという。さらに、目標を“物語”として明確に描き、仲間と共有して進んだ経験は、今もシーズンに臨む姿勢の土台になっている。
そして今年、母校が久々にウインターカップへ戻ってくる。県立校として限られた環境のなかで勝ち切った後輩たちに向けて、石井選手は、「緊張して当たり前。失敗も含めて、その40分を丸ごと楽しんでほしい」とエールを送る。
ウインターカップという“特別な舞台”が、いかに未来につながったのか。石井選手が高校最後の冬を語った。

——全国大会に出たいということで進学先に選んだ八千代高は、文武両道を重んじる高校だったそうですね。
しっかり勉強をしていましたね。顧問の先生からも「勉強はちゃんとしろ」と言われていて、期末テストや中間テストの前は部活動が禁止。バスケをやらずに、勉強に集中する期間が必ず設けられていました。そういう環境を求めて八千代を選んだというのもありました。バスケだけに偏るのが嫌だったので、文武両道を大切にできる学校でバスケをやりたいと思っていました。
——小学校では県ベスト4、中学校では県ベスト8で全国には届かず。高校1年生のインターハイが初の全国大会でしたか?
そうですね。ただ1年生の時はメンバー外だったので、応援団として現地に行っただけなんです。2年生になってメンバーに入り、インターハイで全国のコートデビューを果たしました。
——恩師の中嶽誠コーチ(現順天堂大)はフィジカルトレーニングや3Pシュートを積極的に取り入れるなど、画期的なバスケを展開したそうですね。
当時、高校生から本格的なストレングストレーニングに取り組んでいるチームは、まだ多くなかったと思います。正直、最初は体がきつかったです(笑)。しっかりとプログラムされたトレーニングが組まれていて、振り返ると、あの土台があったから今があると思えます。3年間を通して体のベースができたことで、プレーの幅が広がりましたし、試合中の当たりの感覚も大きく変わりました。
それは中嶽先生がトレーニングを重視されていたからこそです。ボールを全く使わず、ランニングシューズだけを持っていくトレーニング合宿や合宿の中でトレーニングに集中する時間もありました。それくらいフィジカルに力を入れていました。そうした積み重ねがあったからこそ、チームとしても思い切って3Pシュートを打てるスタイルを築けたのだと思います。
——まずは体がベースというのが中嶽コーチの考えだったのですね。その2年生ではウインターカップに出場。ベスト16まで進みました。
1回戦が明徳義塾戦(87-82)で2回戦が高岡工芸戦(100-94)でした。高岡工芸には2年生にフェイ・サンバ選手(元滋賀、SR渋谷ほか)がいて、いいシューターもいたのですごく大変だった記憶がありますね。そして3回戦では優勝候補の洛南(86-101)に対して、ディフェンスのチェンジングをしたり、いろんな策を講じたりして少しは勝負になる時間帯もありました。そういう手応えみたいなのは結構覚えていますね。
——石井選手はベンチから出場して3試合中2試合で2桁得点ですから、シックススマンという役割だったのでしょうか。
そうですね。基本ベンチから出ていました。ただ、ウインターカップでの自分の得点シーンを、あまり覚えていなくて(笑) それくらい入り込んでいたんだと思います。
——ウインターカップの舞台である東京体育館は憧れの舞台だったと思います。体育館に入った時、プレーしている時などどんな気持ちでしたか?
当時の千葉県はインターハイの出場枠こそ2校ありましたが、ウインターカップは1位にならないと出られない大会でした。だからこそ、ウインターカップに出場すること自体が、本当に勝ち切らなければならないものだという感覚が強くありました。まず、そこに辿り着けたことへの達成感は大きかったです。
会場が東京体育館だったことも特別でした。自分は小学生や中学生の頃から、田臥勇太(宇都宮)さんがいた能代工業(現能代科学技術)の試合などを見ていて、東京体育館は“大舞台”というイメージをずっと持っていました。だからこそ、「ここで試合ができるんだ」という純粋なうれしさがありましたし、その舞台に立てたこと自体が、とても印象に残っています。

「緊張も失敗も全部楽しんでほしい」
——母校が今大会に出場します。石井選手が2年生でウインターカップ出場して以来ですから、21年ぶりです。
純粋にうれしいですね。全国的に私立校が強くなっている中で、県立高で限られた環境・設備でも千葉県を制することができたというのは、本当に大きなことです。選手たちはもちろんですが、現在のコーチである藤橋洋輔先生は、2学年上の先輩にあたる方なんです。そういう近い存在の人たちが勝ち取った結果だったので、なおさらうれしさがありました。
——定期的に激励に行かれているようですし、SNSでサポートの呼びかけもしていましたが、直接、祝福もしたのでしょうか?
出場が決まった直後に、先生に電話をかけて「おめでとうございます」と祝福をしたのと寄付もさせていただきました。オフシーズンには顔を出して激励をしに行くこともありました。昨シーズンのオフには、僕が普段受けている睡眠に関する講習を、八千代高の生徒たち向けに実施したり備品などを寄贈したりもしています。OBとして、何か力になれることがあればうれしいです。
——石井選手にとって、ウインターカップの出場はその後につながる経験になっていますか?
そうですね。ウインターカップという大舞台を経験したことで、次のステージに進んだ時も、同じような場面で過度に緊張しづらくなりました。洛南に負けて終わった直後、中嶽先生から「次の代はお前がエースだぞ」と声をかけていただいたことも覚えています。その一言で、自分の中で気持ちが切り替わった感覚がありましたし、次に向かう覚悟というか、メンタルのスイッチが入った記憶が強く残っています。
——その期待通り、3年生で迎えた地元・千葉インターハイではエースとして活躍。3回戦まで勝ち上がり、優勝候補の能代工業と接戦を演じました。この裏には中嶽コーチが立てた目標も役立ったそうですね。
そうなんです。これもウインターカップが終わってすぐに次の3年生メンバーで集まった時に、先生から「千葉で地元開催のインターハイに出て、船橋アリーナで能代工業と対戦し、最後はお客さんから拍手をもらう。そこまでが、お前たちのストーリーだ」と言われたんです。正直、その時は「本当にそんな風になるのかな」と思っていたんですけど、結果的に本当にその通りになって。あとから振り返ると、すごいことを言っていたんだなと感じました。

——目標を明確に描くことの大切さというのは後にも生きていますか?
はい。シーズンが始まる前には、目標を必ず立てています。数字的な目標を具体的に設定することもありますし、それだけでなく「こんなシーズンにしたい」という少し抽象的なイメージや、大きな絵を描くような目標も個人的に決めるようにしています。そういった部分は、今も大切にしていますね。
——ところで、実は高校まででバスケをやめることも考えていたと知りました。どんな理由ですか?
当時はまだプロリーグがなく、バスケで生計を立てるという将来像が、正直あまり描けませんでした。自分の中で将来の選択肢として見えにくかった部分があったと思います。それと中学校の時に腰を痛め、長くリハビリに通うという期間もありました。そうした経験から、理学療法士のような仕事にも興味を持つようになり、漠然とですが専門学校などに進むことも、考えていました。ただ、ウインターカップを経験する中で少しずつステップアップすることができ、3年生のインターハイを経て、東海大への進学という道が開けました。そのチャンスがあるのであれば、もう一度バスケを続けてみようと思い、競技を続ける選択をしました。
——大舞台で力を発揮するために大切なことは何でしょうか?
高校生にとって一番大事なのは、あの舞台を楽しむことだと思います。「緊張せずに平常心で」と言うのは、ほぼ無理だと思うんです。よほど図太い選手でない限り、ほとんどの選手は緊張しますし、普段ならしないようなミスも出てしまったりします。でも、それも含めてウインターカップ。今まで一緒にやってきたチームメイトや、指導してくれた先生、支えてくれた保護者の方々と積み重ねてきた過程すべてをひっくるめて、最後の舞台を迎えているわけですから。
ひとつのパスミスやシュートミスだけを見るのではなくて、いろんな人の思いが乗った40分間だということを感じながら、失敗も含めてその時間を思いきり楽しんでほしいですね。それと結果がどうであれ、試合が終わった後に「やりきった」と思えることが一番大事だと思います。笑顔でも、悔し涙でもいいので、全力を出し切って終わってほしいです。
——当時、石井選手は出し切れましたか?
やりきったという記憶です。実は、公式戦で初めて3Pシュートを決めたのもウインターカップでした。2年生の頃は全然シューターではなかったんです。3年生から本格的に3Pシュートを打つようになって、そこからプレーの幅も広がりました。だからこそウインターカップは、自分にとって本当に思い出深い大会です。
——改めて、母校・八千代高校へのエールをお願いします。
僕が卒業してから、もう20年近く経ちますが、八千代高校への思いは今も変わらず強いです。横断幕に「オレンジ旋風」と書かれているのですが、オレンジという色はいまだに好きですし、オレンジを背負って戦った3年間は、今でも鮮明に覚えています。時を経て人が入れ替わっても、「八千代高校」という存在そのものが、これからも千葉県のバスケ界を引っ張っていく存在であってほしいと思っています。今回、ウインターカップという全国の舞台に立つことで、さらに大きな存在感を放ってくれることを期待しています。
——最後に、ウインターカップに出場するすべての高校生へメッセージをお願いします。
個人としても、チームとしても、いろいろな目標があると思いますが、その目標に向かって、1分1分、1プレー1プレーを本当に楽しんでほしいです。ぜひ「やりきった」と思える試合をやってください。ここまで来るまでに、チームメイトやコーチ、保護者の方など、多くの支えがあったと思います。その感謝の気持ちを忘れずに、コートに立ってほしいです。心から応援しています。
写真/©B.LEAGUE、月刊バスケットボール(ウインターカップ写真)
