ザック・バランスキー フランチャイズプレイヤーが語るB.LEAGUEの10年 vol.3「東京で選ばれる存在に…アルバルカーズとの絆、未来への思い」

B.LEAGUEは10シーズン目という大きな節目を迎える。本連載ではその中で 2016年の開幕からただ一つのクラブに所属し続ける、数少ない選手たちに話を聞く。第2回はアルバルク東京のザック・バランスキー。B.LEAGUE唯一の連覇を成し遂げたA東京の伝統を継承する男が、ともに戦ってきた仲間、ファンの存在、リーグと自身の歩みについて語った。
アルペンマガジンにてシューズやウェアなどについて語るスピンオフインタビュー掲載中!LEDコートに胸躍らせた開幕戦
――2016年にB.LEAGUEが開幕すると決まった当時、どのような心境だったか覚えてらっしゃいますか。
バランスキー プロ化することはすごく楽しみでした。僕が入団した頃は数百人しか見に来てもらえない試合もあったので、もっともっとバスケットボールがメジャースポーツになったらいいなという素直な気持ちと、面白いスポーツだからもっと多くの人に試合を見てほしいなという思いが強かったですね。
――2016年9月22日、国立代々木競技場第一体育館で行われたアルバルク東京vs琉球ゴールデンキングスの開幕戦で幕を開けました。
バランスキー 開幕戦に選ばれたことで、ものすごく注目してもらえました。開幕戦はLEDコートを採用するということで、試合前に試作コートを見に行きました。あまり大きくはなかったですけど、3つぐらいあるLEDコートのうちどれがいいのかって。これが大きいコートになったらどんなものができるのだろうって、すごくワクワクしていましたね。そんなコートは見たことがなかったですし、新しいリーグでインパクトのあるスタートができるな、と楽しみでした。1万人の前でプレーするのは初めてでしたし、開幕戦は本当にただただ幸せでしたね。緊張することもなく純粋に楽しめました。これが「B.LEAGUE」、「これがプロなのか…」って、まるで子どものように純粋に楽しんでいましたね。

歩んできたキャリアと成長
――あれから9年が経ちました。当時は2025年もアルバルク東京でプレーしていると想像されていましたか。
バランスキー 全く想像していなかったです。アルバルクに入団した時は、トップチームでプレーし続けることはそんなに簡単なことではないと分かっていましたし、2年くらい自分の実力を試して、もし試合に絡めなかったら移籍しようかなという感じで入団していたので。まさか自分がこうやって、B.LEAGUE10周年、アルバルク所属12シーズン目を迎えられるとは思わなかったですね。
――B.LEAGUEが開幕してから優勝も含めさまざまな経験をされてきたかと思います。パッと思い浮かぶ思い出はどのようなシーンでしょうか。
バランスキー パッと思い浮かぶのはB.LEAGUE開幕戦ですね。初めてのLEDコートで、初めて1万人の前でプレーしたことが印象に残っています。2017-18シーズンと2018-19シーズンの連覇もめちゃくちゃ印象に残っています。悔しい記憶でいうと、連覇した次の2019-20シーズン開幕前、個人的には結構いい調子でしたが、試合前日に大きい捻挫をして離脱してしまったことがありました。幸せなことにこの長いキャリアで大きい怪我はあまりないので、あの離脱は悔しかったですね。

――キャリアを通して困難な壁に直面し思い悩んだことはありますか。
バランスキー あんまり思い悩んだことはなかったかもしれません。もちろん、プレータイムが少なくてなかなか試合に絡めない時は、試合に出るにはどうしたらいいんだろうと、考えることはあるんですけど、“バスケットボールが人生の全て“だと思っていないタイプの人間なので。結構オンとオフの切り替えがはっきりしていてあんまり落ち込んだり考えすぎるタイプではないのかなと思います。
――入団当初から自分で最も成長したなと思う部分はありますか。
バランスキー 全てのレベルが少しずつ上がっていると思うので…難しいですね。でも、プロとしてやっていくうちに、より周りへの感謝の気持ちを感じるようになりました。今B.LEAGUEはすごく盛り上がっていますが、その裏には色々と準備してくれたり支えてくれている人たちがたくさんいますし、プロスポーツはファンの皆さん、スポンサーの皆さんがあって成り立つもの。入団当初よりもコートの外に目を向け、支えてくださる皆さんへの感謝の気持ちが大きくなっています。
仲間と指導者から受けた影響
――キャリアを重ねられて、チーム内での立ち位置の変化はどう感じてらっしゃいますか。
バランスキー 全く意識していないですね。多分、長く一緒にやっている選手に聞いても「あんまり変わってないんじゃない?」という人が多いと思います。負けた後もそこまで落ち込みすぎないですし、勝ってもめちゃくちゃ喜ぶタイプではないので。ルーキーの時からルーキーらしくないよねって言われていました。
――その心構えはプロ選手としての強みの一つかもしれないですね。
バランスキー 独特なんですよ、僕は。アメリカ人でもあるので「それを上手く使ってるよね」って菊地祥平(現:A東京)とかに言われたりします。普段は「ショーヘイ」なのに、調子いいときだけ「祥平さん~」って(笑)。
――菊地選手の名前が上がってきましたが、キャリアを通じて印象に残っているチームメートを3人挙げるとしたら誰でしょうか。
バランスキー アルバルクでプレーしていると日本代表や海外の代表選手とか、すごい選手たちとチームメートになったんですけど、3人か…。
一人はやっぱり(田中)大貴(現:SR渋谷)。東海大学時代からずっと一緒にやってきて、プロでも本当に長い年月を一緒に過ごしてきました。僕は日本で一番のツーウェイプレーヤーだと思っています。
プロになってから一番仲良くなったのはアレックス・カーク(現:琉球)。昨日もメッセージのやりとりをしていましたし、年齢も近くて何でも話し合える、チームメート以上の関係性になった一人です。

もう一人。難しいな…。お手本にしたチームメートは正中岳城(元:A東京)ですね。学生時代にアルバルクの練習見学に行った時に声をかけてくれました。長年キャプテンをやっていて、みんながついていきたくなる男。自分の中ではめちゃくちゃリスペクトしている選手でもありますし、アルバルクのレジェンドであることは間違いないです。派手なプレーヤーではなかったかもしれないけど、リーグ全体からリスペクトされていました。同い年の(菊地)祥平と(竹内)譲次(現:大阪)には申し訳ないですけど、3人目は正中岳城で(笑)。
――印象に残っているヘッドコーチはいかがでしょうか。
バランスキー みんな濃いんですよね(笑)。アルバルクに呼んでもらえたのは伊藤拓磨さんですし、僕に初めて3番(SF)をプレーするチャンスを与えてくれたのはルカ(・パヴィチェヴィッチ)でした。アド(デイニアス・アドマイティス)は僕にキャプテンを任せてくれたり、本当にそれぞれ印象に残っているシーンが違うんですよ。あえて言うなら3番をやらせてくれたルカ。自分でも3番のプレーを覚えないと長くプロで生き残るのは難しいと思っていましたし、初めてそのチャンスを与えてくれたので、感謝しています。
“フランチャイズプレーヤー”としての覚悟
――長らくアルバルク東京でプレーしてきましたが、これまで移籍の可能性はなかったのでしょうか。
バランスキー 悩んだことはありました。でも、アルバルク東京が僕を必要としてくれていたのが、今でもアルバルクでプレーしている一番の理由かなと思います。プレータイムが貰えなくて、「次の年ダメだったら移籍しよう」と思った頃にプレータイムが増えて活躍したり、たまたま同じポジションの人が移籍して、また新たなスタートラインでチャレンジできるようになったり、タイミングが良かったということもあるんですけど、一番はアルバルクが常に自分を必要としてくれてオファーをくれたこと。やっぱり必要とされている場所でやりたいという気持ちがあるので。
――“フランチャイズプレーヤー”と呼ばれることについて感じることはありますか。
バランスキー そう呼んでいただく機会があるんですけど、すごく不思議な感覚です。自分がこのアルバルク東京のフランチャイズプレーヤーになるなんて想像もしていなかったですし、今では在籍期間が一番長くて、人によっては「アルバルクと言えばザック」と言ってくれる方もいるくらいです。すごく幸せなことだなと思いますし、アルバルクにいられるうちは、そう呼んでもらえることを素直に喜んでいようと思います。

――そのような立場に責任やプレッシャーを感じることはなかったですか。
バランスキー 特に感じることはないですね。ここまでアルバルク東京に残れた理由は今までやってきたことが評価されただけなのかなと思うので、特別何か変える必要もないと思っていますし、変に何かしなきゃというプレッシャーもないので、今まで通りの自分らしさを出していけばいいのかなとは思っています。もちろん見てきた背中は偉大な選手ばかりですし、大切なところは大切にしつつ、今までの自分らしさを残していけばいいのかなと思っています。
ファンと地域への感謝、未来への想い
――ファンの存在をありがたく感じる瞬間はどのような場面ですか。
バランスキー アルバルクにはアルバルカーズ(ファンの愛称)が毎年選んでくれるMIP賞があるんですが、それを受賞したときが絆を感じる特別な瞬間でした。子どもたちからトロフィーを受け取る時は涙が浮かんでくるほど嬉しかったです。このMIP賞はシーズンを通してもっと評価されるべき選手、アルバルクに本当に必要だった選手を選んでくれる賞。アルバルクの選手としてはファンからの愛情を感じる、特別な意味のあるものです。
――5年後、10年後の理想の姿は思い描いていますか。
バランスキー あんまり選手としては考えていないです。引退する時期も決めていないです。もし決めていたら、その年になってまだプレーできたとしてもいまと同じモチベーションではないかもしれないと思っている、本当に毎年毎年が勝負かなと思っています。5年後、10年後は娘と仲良く走り回って元気に過ごせればいいかなと思うぐらいなので(笑)。バスケの目標とか、こうなっていたいというのは個人的には特にないです。選手としてプレーしていたらいいなという思いはあるんですけどね。
――5年後、10年後のアルバルク東京に期待することはいかがでしょうか。
バランスキー アルバルク東京の試合が“行きたいスポット”の一つに絶対になっていてほしいなと思います。東京は何でもある街です。そのなかで、デートや家族で出かけるときに「アルバルクの試合見に行きたいよね」「トヨタアリーナ最高だよね」と思える場所になっていてほしいなと思います。クラブとしては江東区に引っ越してきたばかりなので、もっと地域に密着して、地域から愛され、選手が恩返しする、そんなクラブになっていたらいいなと思います。

――そんな未来に向けて、バランスキー選手が貢献していきたいことはありますか。
バランスキー プロ選手である以上、ただのアスリートで終わりたくないなという思いがあります。僕は8年前からピンクリボン運動(※乳がんの早期発見や知識普及を啓発する運動)をやっていて、自分からそういう活動を始める選手がもっと増えたらいいなと思っています。2016年にB.LEAGUEが開幕してから、注目されるようになり影響力もついたので、その立場を無駄にしたくないですし、プロバスケットボール選手は地域、ファン、スポンサーの皆さんに支えられて成り立つ職業なので、選手も恩返ししないといけないという気持ちです。僕の活動を見て、一人でも多くの選手が地域で何か活動をしたいなと思ってくれたら嬉しいですし、これからもプロとして発信していきたいと思います。

10周年の節目に寄せて
――引退後のキャリアはいかがですか。バスケットボールのコーチ業も選択肢の一つかと思いますが。
バランスキー アシスタントコーチ、通訳、ユースコーチとか面白いんだろうなという思いはありますけど、僕みたいな生意気な選手がいたら相手にできるかなというところも(笑)。実は田舎に自分のビール工場を建ててビールを作りたいという思いもあって、ビールを作りつつ、色々なところに行って子どもたちと楽しくバスケをやれたら、それもそれでいいよなとは思っています。
――あらためてB.LEAGUE10周年です。これまでお世話になった方々へ伝えたいことは。
バランスキー もちろん感謝のメッセージは伝えたいですし、本当にB.LEAGUE10周年、リーグもクラブも成長して、色々な方のおかげでここまで来られたのは間違いないです。でも、まだまだ成長できるとも思っているので、感謝の思いを伝えつつ、今シーズンも楽しんで、より良いものにしていこうとも伝えたいですね。

――ファンの方へメッセージをお願いします。
バランスキー ファンの方々、特にアルバルカーズに日々支えられて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。アルバルカーズの輪は年々大きく強いものになっていると感じます。今年は天皇杯(第101回天皇杯 全日本バスケットボール選手権大会)も東アジアスーパーリーグもあり、三冠を狙える面白いシーズンですし、新しくできたTOYOTA ARENA TOKYO(トヨタアリーナ東京)は、日本で今一番いいアリーナだと思います。いったん勝ち負けは置いておいて、熱狂が生まれる素晴らしい場所でともに楽しんで、思い出になるようなシーズンにしていけたらいいなと思います。
――最後に10周年の節目にバランスキー選手から伝えておきたいことはないですか。
バランスキー 色々ありそうだな…。この10年目、B1、B2、B3がある最後のシーズンで、大学の同期が3人ともB1に揃うのはすごく楽しみですね。藤永(佳昭)が去年は富山でB2だったので、ケビン(晴山/広島ドラゴンフライズ)とアキ(藤永佳昭/富山グラウジーズ)と、また同じリーグで戦えるのはすごく楽しみです。東海大出身のB.LEAGUE選手はめちゃくちゃ多いですけど、僕らの同期は3人だけです。特別な気持ちがありますし、B1最後のシーズン、僕らに注目してくれたら嬉しいです。

アルペンマガジンにてスピンオフインタビュー掲載中!

